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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)709号 判決 1972年9月07日

原告

宮崎道憲

被告

今堀酒類株式会社

主文

被告は原告に対し、金五五万八二七三円およびこれに対する昭和四六年二月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告は原告に対し金一七六万九二七五円およびこれに対する昭和四六年二月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

(被告)

原告の請求を棄却する。

との判決。

第二請求の原因

一  事故

原告は、次の交通事故により傷害を受けた。

(一)  日時 昭和四三年一二月一二日午後三時三〇分ごろ

(二)  場所 寝屋川市香里南之町一九番の一 京阪電車香里園駅東構内

(三)  加害車 普通貨物自動車(大阪四も一二二六号)

右運転者 竹内昭則

(四)  被害者 原告

(五)  態様 原告が駅構内を西から東へ向つて歩行中、加害車が南から北へ後退してきて、後部ボデーにより原告に接触、原告を転倒させた。

二  責任原因

(一)  運行供用者責任

被告は、加害車を保有し、自己のため運行の用に供していた。

(二)  使用者責任

被告は、自己の営業のため竹内昭則を雇用し、同人が被告の業務の執行として加害車を運転中本件事故を発生させた。

三  損害

原告は、本件事故により、顔面、両手背、左膝挫傷、左第五指打撲、頸部捻挫および外傷性歯膜炎、外傷性ブリツジ脱落(支台歯共)、上口唇、左頬粘膜下出血等の傷害を被り、事故当日の昭和四三年一二月一二日から同月一四日迄松下病院に入院、加療を受けたが、その後は自宅で自ら治療し、翌四四年一月一四日再び前記病院に通院する迄治療期間三四日に及び、その間昭和四三年一二月一三日から同月二八日迄は原告の営む内科医院を休業して専ら療養につとめた。原告の被つた損害は以下の通りである。

(一)  松下病院診療費 三万九二七六円

(二)  交通費 二七〇〇円

(三)  入院雑費 一〇〇〇円

(四)  眼鏡代品購入費 七万九八〇〇円

原告が当時装用していたドイツ製眼鏡は破損のため新調を要した。

(五)  歯科治療費(義歯) 一〇万一七二五円

(六)  休診による減収 六二万四〇五〇円

原告は肩書地で内科医院を開業し、盛業中の医師であるが、本件事故のため昭和四三年一二月一三日から同月二八日迄の間、定例休診の二日を除き、一四日間の休診を余儀なくされた。

原告の昭和四三年分の診療収入の確定申告額は一三三七万二四八一円であるので、年間診療日数を三〇〇日とすれば、一診療日当りの収入は四万四五七五円であり、その一四日分である六二万四〇五〇円が直接、休診によつて生じた逸失利益である。

仮に、右確定申告額から必要経費を控除すべきであるとしても、その診療報酬中に対する割合は最高五〇%をこえるものではない。医師はその社会保険診療報酬の所得計算について法的に一律七二%の必要経費の控除を認められているが、これはあくまで課税面における特例であるにとどまり、その適用を受ける医師について、特別措置法に基づいて算出した課税対象となるべき所得金額をこえる実質所得のあり得ることを否定するのは失当であり、医師がその逸失利益を算出するにあたり、実際の必要経費は七二%を下廻るとの主張は当然許されねばならない。診療報酬中にその必要経費の占める割合、つまり投薬、注射等の実費の割合は、それぞれの診療態様によつて一概にいえないとしても、あるいはこれを二〇%程度とみる向きもあり、また一般に老練な医師ほど投薬、注射等の件数は少ないといわれており、これを一律に七二%としてその控除を認められているのは、強い政策的な配慮によるものと解される。

(七)  慰謝料 八〇万円

右数額の根拠として特記すべき事実は左の通りである。

1 原告は自ら医師であるため、一般人ならばなお相当期間松下病院に継続入院して加療すべき容態であつたが、自ら求めて退院し、自宅で治療に努めたので、著しく治療期間を短縮することをえたが、その間原告の家人には特段の看護を煩した。

2 原告が休診した時期はあたかも感冒流行期に当り、内科医院としては最も繁忙なときであつた。

3 原告の半月に亘る休診のため、従来の患者は他へ転医し、診療再開後における患者の相当数の減少をもたらした。

4 手部受傷による疼痛、殊に手掌の感覚の鈍麻は、その後触診に際し著しい支障を来し、さらに完治する迄の、腫脹し、変色した異様な外貌は、幼児の診察に当り、患者に畏怖の念を与える等業務の妨げとなることが少なくなかつた。

5 本件事故後、損害賠償につき人を介して再三、再四交渉したが、解決しないので、やむなく調停の申立をなした。しかし、被告はこれにもろくに出頭しなかつた。

(八)  弁護士費用 一六万円

四  右損害の内、松下病院の診療費は被告から同病院へ直接支払われている。

五  よつて原告は、被告に対し、前記三、(一)ないし(八)の合計金一八〇万八五五一円から前記四の金三万九二七六円を控除した金一七六万九二七五円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四六年二月二三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する答弁および抗弁

一  請求原因一、二および四の事実は認めるが、同三の主張は争う。

(一)  歯科治療費は本件事故と因果関係がない。

(二)  原告購入の眼鏡は高額のものであつて、その損害が通常生ずべき損害とはいえない。

(三)  原告主張の傷害があつたとしても極めて軽微であり、入院の必要性もなく、原告の医療業務従事には何らの影響もなかつた。仮に原告自身が休診を余儀なくされたとしても、夜間のみではあるが、医師の資格をもつ原告の子息の代診によつて医院の診療業務はまかなわれていたから、原告主張の損害は生じていない。

(四)  仮に休業損害ありとしても、その損害額算定にあたつては経費を差し引いた年間所得金額である三七六万七〇九四円を基礎とすべきである。医師は租税特別措置法二六条により一律七二%の必要経費の控除を認められ、税制上の恩典に浴している以上、損害賠償訴訟においてのみ右に反する主張をすることは信義則に反し許されない。

二  本件事故について被告には責任がない。

(一)  被告車運転手竹内昭則は無過失であつた。

(二)  車の構造機能に欠陥損害はなかつた。

(三)  本件事故は原告の過失に基づくものである。

(四)  不可抗力によるものである。

三  過失相殺を主張する。

第四証拠〔略〕

理由

一  請求原因一、二の事実は当事者間に争いがない。

二  被告は、自賠法三条但書および不可抗力の主張をするけれども、〔証拠略〕によれば、本件事故は、京阪電車香里園駅の構内を歩いていた原告の後方から、後退してきた被告車が接触したものであつて、そもそも自動車の通行が予測されていない場所に車を乗り入れ、しかも後方を十分に確認せずに後退運転をした被告運転手竹内昭則の一方的過失によるものであることは明らかであり、原告にはなんらの過失も認められないから、被告の右各主張は失当である。

したがつてまた、被告の過失相殺の主張も採用しない。

三  本件事故の損害賠償として被告から原告に賠償せしめるのが相当とみられる損害額は以下の通りである。

(一)  入院雑費 九〇〇円

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故により顔面、両手背、左膝挫傷、左第五指打撲、頸部捻挫ならびに上顎部歯牙欠損および外傷性歯膜炎、上口唇、左頬粘膜下出血等の傷害を被り、事故当日の昭和四三年一二月一二日から同月一四日迄の三日間、松下電器健康保険組合松下病院に入院して加療したことが認められ、その間一日三〇〇円をくだらない額の雑費を要したものとみるのが相当である。

(二)  眼鏡代 五万円

〔証拠略〕によると、原告が事故当時着用していた眼鏡はべつ甲製であつて、五万円余りで買つたものであるが、事故により破損し、新しく同種のものを購入するのに七万九八〇〇円を要したことが認められる。右事実によれば、眼鏡の破損により原告は少なくとも五万円をくだらない損害を被つたものとみるのが相当である。

(三)  歯科治療費 一〇万一七二五円

〔証拠略〕によれば、原告は歯に前記の傷害を受け、そのため上顎局部床義歯の作成、それに伴う下顎義歯床の作成し直しを余儀なくされ、そのために右金額を必要としたことが認められる。

(四)  休診による減収 三〇万五六四八円

〔証拠略〕によれば、原告は内科の開業医師であるが、事故により前示の傷害を受けて三日間松下病院に入院したのち、自宅で療養し、そのため昭和四三年一二月一三日から同月二八日迄の一六日間休診し、その間診療収入をあげられず、損害を被つたことが認められる。被告は、原告の休診にもかかわらず、代診により原告経営の医院の診療業務は継続して行なわれていた旨主張し、〔証拠略〕によれば、医師の資格を有する原告の子らが右の期間一部代診に当つたことが窺われるけれども、〔証拠略〕によれば、全体としては原告主張の期間休業状態にあつたものと認められる。

そこで、右期間の原告の損害について考えてみるに、〔証拠略〕によれば、原告の昭和四三年分の確定申告額の内診療収入分は一三三七万二四八一円であること、休診により原告が支出を免れたであろう薬品代等の必要経費は、多くても収入額の五割を超えないものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。以上によれば、原告の前示休診による損害は、一日当り、右金一三三七万二四八一円から右の意味の必要経費としてその半額を控除した金額の三五〇(三六六日から休診した一六日を控除した日数)分の一にあたる一万九一〇三円とみるのが相当であるところ、その一六日分は金三〇万五六四八円となる。(原告は第一次的に、右必要経費を控除しない金額をもとに休診による減収を算出すべきことを主張するけれども、必要経費を無視して得べかりし利益を算出するのはもとより失当であるから、右主張は採用しない。)

被告は、原告は医師として租税特別措置法二六条により七二%の必要経費の控除を認められ、税制上の恩典に浴しているのに、損害賠償請求訴訟においてのみこれに反する主張をすることは信義則に反し許されないとし、本件においては原告の昭和四三年分の課税対象所得金額である三七六万七〇九四円を基礎にして原告の休業損害を算定すべき旨主張する。そうして、〔証拠略〕によれば、原告の昭和四三年分の診療収入に対する課税対象所得金額は被告の右主張の通りであると認められる。しかし、租税特別措置法二六条は、課税上の政策的考慮から医師の社会保険診療報酬について必要経費の割合を法定したものであり、損害賠償請求において医師の得べかりし収入を算定するにあたつては、右課税上の考慮とは別個に、損益相殺の趣旨に照らし、控除すべき必要経費の範囲を定めるのが相当である。そうして、本件のような短期間の休診の場合は、薬品代等の出費は免れても、設備費、人件費等の医院の維持費の出捐は休診期間中でも免れないわけであるから、控除すべき必要経費の範囲も、租税特別措置法に定める割合を下まわるものとみるのが、実態に合致するものと思われる。被告の右主張は採用しない。

(五)  慰謝料 五万円

〔証拠略〕によれば、前示の通り、原告は本件事故により傷害を受け、三日間松下病院に入院したほか、一度検査のため同病院に行つたこと、自ら医師である関係で入院は右期間でやめて約半月間自宅で加療したこと。その間自ら経営する医院を休業しなければならなかつたこと、診療再開後も右手の腫張、疼痛等のため診療業務にかなり支障をきたしたことが認められ、これらの事実に本件の一切の事情を斟酌すると右金額が相当である。

(六)  弁護士費用 五万円

本件事案の難易、認容額等に照らし右金額が相当である。なお、請求原因三で原告が損害として主張している費目の内、(一)の治療費は被告から填補済みであることは当事者間に争いがなく、(二)の交通費はこれを認めるに足る証拠がない。

四  従つて原告は、被告に対し、前記三、(一)ないし(六)の合計金五五万八二七三円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四六年二月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうるものであるが、原告のその余の請求は理由がない。

よつて原告の請求は主文第一項掲記の限度でこれを認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 林泰民)

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